
「ここはどこ?」
「オーストラリアのエアーズロックさ」
「ウルル?」
「君はセカチューが好きだったね。別名、地球のへそ」
「あれはいいドラマだよ。いささか青臭いけど、もう1回見たくなる」
「映画版とドラマ版、どっちが好き?」
「ぼくはドラマ版から入った口だから。南十字星はどこだろう?」
「あれだよ、あれ」
彼が首を差し向けた方角を見上げる。
南の空に、ひときわ明るく輝く4つの星を見つけた。きれいな十字を形作っている。
「南十字星には一等星が2つあるんだよ、ミモザとアルクルック」
「アクルックスね」
「細かいことはいいさ。一等星が2つ以上ある星座は3つしかない。りゅうこつ座のカノープスとアヴィオール、ケンタウルス座のアルファとベータ。それに南十字星。とても希少な星座なんだ。南半球の星座だけど、日本の一部からも見ることができる」
「馬なのに星座にくわしいの?」
「スマホを見るわけにもいかないし、夜は空を見上げているよ。とくに眠れない夜は」
「そっか」
「ケンタウルス座のアルファは実は三重星で、その中のプロキシマ・ケンタウリは、太陽系に一番近い恒星なんだよ。つまりお隣さんだね。知ってた?」
ぼくは首を横に振った。
「肉眼では確認できないけどね」
「顔を見たことのない隣人か。ミステリー小説になりそうだ」
「君はいつか南十字星を見たいと思ってる。プラネタリウムじゃなくて、自分自身の目で」
「母方の叔父が高価な望遠鏡を持ってて星が好きだったんだよ。たまに星を見るのに誘われた。その影響かな。とっくに死んだけどね。一度結婚して離婚して、変わり者だった。悲惨な最後だったらしい」
らしいというのは、母に聞いても、詳しくは教えてもらえなかったからだ。長期間、山奥の病棟から出ることもできず、自分がだれなのかわからなくなった。きっと孤独に耐えきれなくなり心が壊れたのだ。言葉すくない母の様子から、ぼくはなんとなくそう読み取った。
「ときどき、その叔父さんのことを思い出す?」
「叔父はとても繊細な人だった。すくなくともぼくにはそう見えた。そういう時代だったといってしまえばそれまでだけど、叔父には、もっと別の生き方があったんじゃないかと思う」
叔父のことで思い出すのは、惑星直列と白いトヨタ2000GTだ。
叔父がなにを考えてハンドルを握り、なにを思いながら星を見上げていたのか、もはや知るすべはない。叔父が一人で抱え続けていた苦悩とともに想いも消えてしまった。
ぼくは、こうして星を見上げる時、隣にあの子が居てくれればいいのにと思う。
けして叶うことのない願いだけど、ぼくはそう願わずにはいられない。
あの日、ぼくらは同じ星空の下に立って、別々の星を見上げていた。
「人はみんな孤独だよ。君だけじゃない。君はその孤独に慣れるしかない。ほかの人より、考える時間がすこし長いだけだ」
「星も同じだって、君はいいたいんだろ?」
ぼくの言葉に、彼は軽くいなないた。
「今週はエリザベス女王杯だね」
ぼくのほうから話題を切り替えた。
いつまでも星を見上げていたら首が痛くなってきた。
「君にとって因縁の馬の名前があるね」
「その話題はやめてくれよ。思い出すだけでムカムカする」
「あれは一世一代の大失敗だったね。有馬記念のレガレイラ。君はずっと買い続けていたのに、有馬記念だけ買わなかった。ホープフルSも皐月賞もダービーも、去年のエリザベス女王杯だって」
「あの時のぼくはどうかしてたんだよ、まったく。よりによってべラジオオペラを買うだなんて。シャフリヤールの単勝も、2着付けの三連単も持ってたのに。レガレイラが出走するたびに、有馬記念のレースリプレイが流れて、ぼくの心の傷にこれでもかって塩を塗りたくる」
「買うの? 買わないの?」
「買わないつもりだった。あの関係者インタビューを見せられたら買わないわけにはいかないよ。不本意だけどね」
「戸崎騎手を信じるの? 天皇賞秋で騙されたばかりなのに」
「それこそ不本意だけどね」
「ルメールはいいのかい?」
「さすがに厳しいよ。あの調教だと。それよりC・デムーロのリンクスティップが怖い。大外枠じゃなきゃ、単勝を買ってたんだけどなぁ」
「ということは、相手はリンクスティップじゃないわけだ」
ぼくはだまってうなずいた。
「セキトバイーストの調教が良く見えたんだ。ライラックも考えたけど、藤岡祐介騎手がうまく馬群を捌けるとは思えない。とくにG1で」


コメント