
「じゃじゃーん。ここがどこかわかるかな? わかるよね?」
「知らないわけがないよ」
「日本競馬の悲願、宿縁の地・凱旋門さ」
「後ろに見えるのは、エッフェル塔かな」
「感動が薄いな。花の都・パリ、あの凱旋門が目の前にあるってのに」
「ぼくぐらいの競馬歴になったら特別な感情はないよ。そろそろ鍋物の美味しい季節だな、そんぐらいのもんさ」
「君がそう思うのも無理はない。結果はいわずもがなだ、錚々たる名馬が挑戦して」
「いつか勝てるんだろうなって思ってた。いまは、ぼくが生きてるうちには勝てないんだろうなって思ってる」
「BCクラシックは勝てたのにね」
「たぶん」
「たぶん、なに?」
「いや、なんでもない」
「なんだよ、もったいぶらずに教えてくれよ」
「ぼくは競馬の素人だから。素人が専門家に語ってもしょうがないよ。まあ、あきらめずに挑戦してたらそのうち勝てるかもね」
「君の性格からいって、もし日本馬が凱旋門を勝ったら寂しさを感じるんだろ?」
「そうかもしれない」
なんといっても凱旋門賞は、ぼくみたいな競馬ファンにとっても憧れのレースだ。
ある意味で、片思いの子が、ほかの男と付き合うみたいな気持ちに近いのかもしれない。
祝福するのはあたりまえなんだけど、一抹の寂しさがあるのも事実だ。
それが正しいか正しくないかは別にして、自分の感情を否定することはできない。
「ぼくは日本馬が凱旋門賞を勝つ姿を見てみたいね。馬関係者としても」
「まちがいなく」
「話は変わるけど、有馬記念で騒動があったらしいね」
「そうみたいだね。詳しくは知らないけど」
「某調教師がやらかしたらしいよ」
「へぇ~」
「競馬ファンはカンカンだ」
「あんなことで怒れるエネルギーがうらやましいよ」
「君はなにも感じない?」
「昔から日常茶飯事だよ。いまさら騒ぐ気にもなれない。だいたいG1レースに同系列の馬主の馬が半数以上出走してるのがおかしい」
「それをいったらおしまいだよ」
「JRAの拝金主義だって、いまにはじまったことじゃない。ぼくも20年前なら腹が立ったかもしれないけどね」
「JRAも経営が厳しいのさ。インフレ時代で人件費や燃料費は高騰してるのに、馬券の売り上げは30年前がピークのままだ。事実、世界で一番高いと評判だったレースの賞金も、いまでは中東はおろか香港にも負けてる。頭の古い競馬ファンは、いまだに日本の賞金が世界で一番高いと信じてるけどね」
「悲しい現実だね」
「まったく悲しい現実だよ。厩務員の給料も、物価の上昇に追いついていない。おまけにライフワークバランスが最低の職場だろ。若い人が敬遠してる。JRAが競馬関係の仕事の番組やCMを流しまくってるだろ。あんなの30年前だと考えられなかった話だよ。黙ってても、就職希望者が溢れていたのにさ」
「馬産地がインド人だらけになるわけだ」
「オフシーズンを作ればいいのにね。馬のためにも、人のためにも。そうすれば、若い人が増えるかもしれない」
「JRAは絶対にオフシーズンなんて作らないだろうね。それだけ売り上げが下がるから」
「どのスポーツはオフシーズンがあるのに。世界中どこでも」
「競馬はスポーツじゃないんだよ、きっと。JRA的には」
「辛い事実だ」
「だからぼくは、競馬は好きだけどJRAが嫌いなのかもしれない。ぼくがもし総理大臣なら――」
「競馬を廃止する?」
「JRAを解体する」
「壮大な計画だ。実現不可能だけど」
「ぼくにはいう権利があるよ。それだけ寄付をしてきたんだから。東京競馬場の柱の一本ぐらいは、ぼくのお金で建てられてるといっても過言ではない」
「それはそれとして、とりあえず目の前のレースを考えようじゃないか」
ぼくは黙ってうなずいた。
とても真剣な表情で。
東京競馬場に二本目の柱が立つかもしれない、ぼくの貴重なお金で。
「今週は朝日杯だ」
「調教でよく見えたのはエコロアルバとスぺルーチェだよ。これだけはまちがいない。自信がある」
「読めたよ。買うのはそのどちらでもない」
「バレたか」
「バレたか、じゃないよ。まったく。どうして素直に買わないのさ」
「なんとなく」
「なんとなく!?」
「そういうことってあるだろ。この店は、チャーハンが絶対にうまいんだけど、今日はなんとなくラーメンの気分だ、みたいな」
「馬券をチャーハンに例えたのは君が初めてだよ。日本中を探しても」
「とにかくぼくは素直にエコロアルバを買う気にはなれなかったんだよ。ぼくらしくない気がした」
「君らしい馬券ってなんなのさ」
「しいていうならインスピレーションかな。ぼくは、ぼく自身のインスピレーションに従って生きていく」
「カッコつけてるつもりかもしれないけど、要するに勘だろ。君はいつもそれで失敗してきてるじゃないか」
「調教もよく見えなかったし、陣営も弱気だし、専門家は軒並み印を落としてるし、騎手はあれだし。どうして、ぼくはこんな馬券を買ってしまったんだろう?」
「おいおい、こっちが聞きたいぐらいだよ」
「でも、これもまたぼくの生き方なんだよ」


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