
「やあ、お目覚めかな」
「また君か」
「その言い方はないだろ。まるで奈良の鹿公園の鹿みたいにいわないでくれ」
「すばらしい眺めだ。とても幻想的な」
「ギアナ高地のテーブルマウンテンだよ」
「どうりでジャングルが広がってるわけだ」
ぼくは眼下に広がる緑の大地を見下ろした。
「おっと、飛び降りるなよ。エビせんみたいにぺっしゃんこになる」
「夢なのに?」
「夢だとしてもだよ。夢と現実は、ほんとはたいした差はないんだ。現実と夢を隔てた薄い膜の向こう側、虚数の世界なんだよ」
「高校の数学で習う?」
「見ることはできるけど、触れることはできない。夢の中の君がいるとする。その君が見る夢が現実なんだ。だから、夢の中で自分の意志で飛び降りれば、現実の自分が飛び降りたのと同じ意味を持つ。なぜなら夢の中の君は君自身だからさ。この意味はわかる?」
「わかるような、わからないような」
「ねじれたドーナツのリングだと思えばいいさ。どっちが表でどっちが裏かわからないだろ」
ぼくはだまってうなずいた。
それはイメージしやすいような気がした。
とにかく夢と現実は表裏一体なのだ。
夢でぼくが銃で撃たれたとすれば、現実でぼくが撃たれたのと同じだ。
夢でぼくがだれかを殺せば、現実でぼくが殺したのと同じだ。
その意味を知ると、とても恐ろしい気がする。
なぜなら夢の中のぼくは感情に忠実で、自分の意志ではコントロールできないからだ。むき出しの自分を見ている気がする。
「夢の話はおしまいだ。ぼくらは現実について話し合う必要がある、すくなくともいまは。天皇賞秋は残念だったね」
「あれこそ悪い夢を見てるみたいだった」
「君の予想は8割方当たってた。出遅れなければ――。おっと、それも含めて競馬だなんてスカしたことをいうのはやめてくれよ」
「君が教えてくれたクイーンズウォークは9着だったね」
「べつにいいんだよ、1着だろうと9着だろうと。スマホをポチろうにも、ほら」
彼は前足を上げて見せた。とても大きな蹄をしていた。スマホの画面ぐらい簡単に粉砕できそうだ。
「いいたいことがあるだろ。せっかくだし、ぶちまけちまえよ。たとえば、戸崎騎手の騎乗が最悪だったとかさ。出遅れて、ドスローを後方待機して、直線ではインをついて前が壁」
「身も蓋もないな」
「実際問題、あれは中々の見世物だったぜ。そうそう見れない。ネットの界隈をざわつかせた、そうだろ?」
「そうかもしれない」
「G1であれをやられたらお手上げだよな。ぼくは馬だから手を上げることはないけど」
「ぼくも悪かったんだよ。戸崎騎手に期待しすぎた。ぼくはむしろジャスティンパレスが最後方で、ブレディヴェーグが先行だと思ってた」
「スターターも酷かったよね。変なところでボタンを押してさ。あきらかにマスカレードボールが落ち着くのを確認してた。あれで公平競馬っていえるのかね」
「JRAは1番人気の馬に勝ってほしいからね。とくにG1は。しょうがないよ」
「メイショウタバルの逃げはどう思う?」
「問題は、ホウオウビスケッツの岩田騎手じゃないかな。無理矢理引っ張って、メイショウタバルの邪魔をしないようにしてた」
「中央競馬特有の暗黙のルール。G1で人気の逃げ馬に競りかけてはいけない」
「それも含めて競馬だから。それに、いまにはじまったことじゃないよ。昔からちょくちょくあるよ、おかしなルールは。一番可哀想だったのは、ある意味、ホウオウビスケッツの馬券を買ってたファンかもね。実力を発揮できなかったどころか、味方であるはずの騎手に潰されたようなもんだ」
「君は中央競馬の、そういう忖度が嫌いなんだろ」
「ぼくは、騎手の人間関係やくだらないルールによって真剣勝負が邪魔されるのが嫌なんだよ。神聖な場所を汚されたような気持ちになる。でも、一番嫌なのはそういう忖度をしながら、実力で勝ちましたみたいな顔をする関係者かもしれない。彼らはきっとバレてないと思ってるんだろうね。競馬ファンはそれほどバカじゃないのに」
「ルメールは嫌い?」
「どうして? 好きだよ」
「武豊は?」
「いまは好きかな。昔はそれほど好きだったわけじゃない」
「川田騎手は?」
「ノーコメント」
「松山騎手は?」
「大好きさ」
「横山典弘騎手は?」
「こんなこというと荒れるかもしれないけど、早く引退した方がいいと思ってる」
「なるほどねぇ。君らしい意見だ」
「人間だし好き嫌いがあるのは仕方ないよ」
「馬だって同じだよ」
「そうなの?」
「ウソをつくならやさしいウソをついてくれる人間がいい」
「例えば?」
「今週はアルゼンチン共和国杯だよ」
「ごめん。今週はやる気が起きないんだ」
「天皇賞秋があんな結果だったから?」
「はずかしい話、JBCを全部はずしてお金がないんだ」
「切実だねぇ。とりあえず予想だけしていきなよ。話しのネタになる」
「ローシャムパークかな。単勝で。もちろん買えないけど」

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