
「見慣れた景色だ」
「近所の海岸だからね」
「こうしてみると、うちも悪くない。沖縄には負けるけど」
「沖縄はいいよね、暖かくて」
「虫がいなければなおいい」
「君は虫が苦手だからね」
「どうしてなんだろうね。子供の頃は、素手で掴んていたのに。いまじゃ見るだけでビクッとする」
「虫も人を見て驚いてるんだよ」
「ぼくがいってるのは、そういうことじゃないんだよ。昔、平気だったものが苦手になるのってどういう仕組み何だろうと思ってさ」
「逆に苦手だったものが平気になるパターンもあるよ。たとえば、シイタケ」
ぼくは、苦笑した。
「シイタケは良く火を通すことが重要なんだ。子供が苦手なのは生焼けのグニャとした食感と匂いなんだよ。スライスしてオリーブオイルで揚げて塩を振れば、おやつにピッタリのチップスになる」
「酒のつまみに良さそうだ」
「ぼくはお酒を飲まないけどね」
「どうして飲まない?」
「どうしてって言われても困るな。美味しいと感じないからだよ。二十歳の時に飲む努力をしたことがある。でも、どうもしっくりこなかった」
「酔って吐いたことはない?」
「ある。ぼくの送別会で」
ぼくは仲のいい同僚が焼肉屋で開いてくれた、5人だけのこじんまりとした送別会で飲めないビールを大量に飲んで、道端にゲロを吐いた。
あんなに気持ち悪い体験はあとにも先にもあれきりだ。
たぶんそれは、ぼくは酔っていろんな嫌なことを忘れたかったんだと思う。
大人にはだれにだってそういう時がある。
「いい同僚だったんだね」
「おおげさに聞こえると思うけど、戦友だよ。みんな似たもの同士だったし、ある部分で感覚を共有していたんだ。だから、よけいに彼らのやさしさが身に染みた。やっぱりおおげさだね」
「いい話じゃないか」
「もっとうまく伝えられたらと思うんだけど、うまく言葉にできない。それがとても残念だ」
「もう一度、会いたい?」
「ぼくはドロップアウトした側だから」
「そうか。チャンピオンズカップは見事だったね。ラムジェットの複勝320円」
「ゴール前までヒヤヒヤしたけどね」
「なかなか見ごたえのあるレースだよ。最終コーナーで前をカットされたのに直線で差し返す芸当はなかなかできるもんじゃない。中京コースであることを考えれば一番強い競馬ともいえる。もっともメイショウハリオを買ってた人たちはそうは思わないだろうけどね」
「1着馬のダブルハートボンドは消してたし、2着のウィルソンテソーロは鞍上を買いたくなかったし、そういう意味ではナイス判断だったのかもね。馬連でもワイドでもはずれてた。当然、単勝でも」
「今週は阪神JFだよ。連勝を目指してくれよ」
「そうだといいんだけど、2歳戦だろ。正直、どれを買えばいいのやら」
「おいおい、心もとないことをいわないでくれよ」
「考えれ考えるほど堅い決着に思えてくる」
「競馬あるあるだね。オッズの罠だ。そういうときはだいたいハズれる」
ぼくはうなずいた。
こういう時は、だいたいはずれる。
ただでさえ馬券はむずかしいのに、買いたい馬もいない、自信がない。
経験則的にも当たるわけがない。
「それでも買わなくちゃいけない。馬券ファンの辛いところだ」
「ぼくは、低レベルのギャンブル中毒なのかもしれない」
「アルコール中毒よりはマシだよ」
「人生のプラスにならないという意味では似たり寄ったりのような気がする」
「狙いたい馬はいないの?」
「調教だとヒズマスターピースがすごく良く見えた。調教師も自信があるみたいなことをいってた」
「でも、買わない?」
「鞍上が……藤岡祐介騎手をG1で軸にする勇気は、ぼくにはないよ」
「それは残念だね。調教師試験に合格したのに。ご祝儀があるかもしれない」
「テン乗りじゃなきゃなぁ。勝つのはアルバンヌのような気がする。絶対かといわれれば、そこまで自信はないけど。このオッズなら単勝を狙ってみてもいいんじゃないかな」
「隣の川田騎手は?」
「そこなんだよ。未勝利戦からG1に直行してきたのが、いかにも」
「穴くさい?」
「人気してるけどね。川田騎手が勝負にならない馬に乗るとも思えないし」
「そこで思考がぐるぐるしてるわけだ」
「タイセイボーグが外枠じゃなきゃなあ」
「もう時間がないよ。あと1時間ちょっとで発走だ」
「まったく、夢の中でせかされるとは思わなかったよ。はずれても今週はノーカンにしてよ」


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