競馬日記 99

「ここはどこだ」
 彼は長い首を振って辺りを見回していた。
 ぼくは、ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで白い息を吐いた。

「知らないの、あれは神社っていうんだよ。日本の神道」
「ぼくが聞いてるのは、どこの神社だって意味だよ」
「廣實神社だよ。その社殿だ」
「ひろざね? 聞いたことないな。ずいぶんさびれてるみたいだ。柱もボロボロだし、朽ちかけてる」
「B県の山間にある小さな神社だからね。知ってる人のほうがめずらしいよ。建立されたのは800年前とかだから由緒正しい神社だよ、いちおうね。よくあるだろ源氏の追手から逃れるために、平氏の落ち武者が隠れて住んでいたとか。落人伝説。近くの集落もそのひとつだったんだよ。もうとっくになくなったけどね。いまじゃダムの底だ。元の村民がたまに戻って来て掃除なんかをしてたけど、手入れされてないから荒れ放題」

「それでさびれてるわけか。なかなか歴史があるんだ」
「神社の裏山には、小さな洞窟があるんだ。左近洞窟。県の天然記念物にも指定されている」
「まるで平氏の落ち武者が隠れていたみたいな名前だね」
「その通りだと思うよ。小さいといっても全長で2キロぐらいある。中は鍾乳洞になってて、狭い通路が曲がりくねって奥へと続いてる。この辺りはカルスト台地だからさ、そういった鍾乳洞がいたるところにある」
「日本は島国だからね。サンゴ礁で出来た島ってのはだいたい立派な鍾乳洞があるもんだ。観光名所になってたりする」
「ここのはちょっとちがうけどね。入り口は鉄の扉と鎖で封鎖されてる」
「物々しいね。宗教的に神聖な場所だからかな」
「事故があったんだ。20年ぐらい昔に」

「どんな事故?」
「長くなるけど聞きたい?」
「君も性格が悪いね。そういわれると聞きたくなるってのが心情だろ」
 彼は目をランランと輝かせて、長い首を伸ばして僕に顔を向けた。
 ニンジンをねだる時みたいに、前足で地面をかいている。
 ぼくに早く話せとせっついている。

「携帯はまだパカパカの時代だ。とある大学の探検部があったんだ。ここから車で2時間ほどの県庁所在地に」
「川口探検隊みたいな?」
「いまの若い人たちは知らないんじゃないかな。どこの大学にも探検サークルみたいなものがある。山岳部のサブチームみたいなもんだよね。アウトドアサークルみたいな。OBの中にはサークル活動がきっかけで山岳カメラマンになった人もいるらしい」
「硬式野球部と軟式野球部みたいな?」
「その表現が適切かどうか判断は保留するけど、似たような物かもしれない。正式なサークル活動だったのは事実だよ」
「大学生活でサークル活動は華だよね。そっち目的になる学生もいるぐらいだ」
「探検部では年始に――。ちょうどいまの時期なんだけど、合宿と称してこの近くの温泉宿に泊って、左近洞窟に入洞することが恒例行事になっていた。新年会を兼ねて」

「いかにもって感じだね。大学生らしくて気に入った。そういうイベントは嫌いじゃないよ、馬のぼくから見ても」
「さっきもいったけど、洞窟は2キロぐらいの長さがある。道は細くて入り組んでいて足場もとても悪い。当然だけど照明はあるわけがない。文字通り地の底に続くような真っ暗な暗闇だ」
「頭痛が痛いみたいな言い方だね」
「ちゃかさないで聞いてくれよ。こっちは真面目に話してるんだ。洞窟の最深部には、水の透き通った地底湖があるんだ。縦横30メートルぐらいの。学校のプールを一回り大きくしたのをイメージするとわかりやすい。問題はそこまでのルートで、途中にはロープを使って昇り降りしないといけない縦穴のような崖や、腹ばいになって進まないと通れないとても狭い通路がある。この通路は人が1人やっと通れるぐらいの細さで、冬の渇水期以外は水に沈んでて通ることができない」
「源氏の追手から逃れて潜伏するにはうってつけの場所だ」

 ぼくは黙ってうなずいた。
 800年前に、命からがら逃れてきた平氏の落ち武者が刀を手に隠れていた姿を想像しただけでゾッとする。
 自分以外のだれかがそこにいるのを感じるような暗闇だ。
「サークルの目的は、地底湖で泳ぐことだったんだ」
「新年早々?」
「度胸試しの要素もあったそうだ。理由なんてどうでもいいんだよ。大学生はそういうことしたがるだろ」
「同意。彼らは恐れを知らないからね」
「合宿にはOBを含む14名の参加者がいた。温泉に入って夜にはミーティングと称して酒を飲んで。人数が多すぎるので2回にわけて入洞することになった。1日目は5名、2日目に4名。残りは別の洞窟を通り抜けするツアーをして」
「冬の渇水期だけ、夏には入れない洞窟か」
「1日目はとくに問題はなかった。経験者が先導して2時間ほどで地底湖に到着。そこで1時間ばかり時間を潰して来た道を帰る。事件は2日目に起きた。4人のうちの1人、2年生の男子学生が地底湖で泳いだまま行方不明になった」

「行方不明?」
「泳いで反対側の壁にタッチしたのを見たあと、目を離したわずかな時間に男子学生の姿は消えていた。天井を照らすライトの明かりだけを残して。メンバーが断続的に呼びかけも返事がなかった。他の3人は、あわててライトで洞窟内を照らした。反対側の壁や地底湖の水面。男子学生がどこか泳いでいるはずだと思って。でも、どこにも男子学生の姿はなかった」
「泳いでいる途中に溺れたの?」

「たぶん――。それか」
「それか?」
「鍾乳石に頭をぶつけて気絶したのか、横道の支洞に入った。鍾乳洞は迷路のように入り組んでいるから、奥へと続く細い道が無数にある」
「天井を照らしていたライトは?」
「地底湖に沈むようにして消えたらしい」
「大変だ」
「なんといっても洞窟の最深部だ。電波なんて届きやしない。助けを求めようにもその手段がない。3人は呼びかけ続けた。呼ぶ声は洞窟の壁に反射して、どれがだれの声かわからなくなる。ホイッスルを使ってコールをして水面をライトで照らして、男子学生の応答があるのを待ち続けた」
「だけど、返事はなかった」

 ぼくは、彼の眼を見た。
 この先のことを話すのをすこしだけためらった。
「3人は相談して、救助を求めるために洞窟を出ることにした。洞窟では2名以上で行動するのが鉄則だ。1人だけ残して出るわけにはいかない。二次遭難の恐れがある」
「そんな場所に残れっていわれても残りたくないよ、たった1人で」
「3人は泳いで体が濡れていて低体温症の危険があった。リーダーが『ここで待っていてください。救援を呼んできます』と書いたメモとサバイバルシートをその場に残した。もしも男子学生が戻って来た場合のために。なぜだかわからないけど、ライトなどの照明を設置しなかった。メモがあっても暗闇で見つけようがないよね」

「パニックだったのかな。一刻も早く出たいと思って」
「想像してみてよ、もし男子学生が気絶していただけだとしたら? 戻ってみたらサークルのメンバーもライトの灯りも消えているんだ。周りは漆黒の暗闇だ。脱出しようにも出口の方向すらわからない。だれかの名前を呼んだとしても、自分の声がむなしく反響するだけだ。
 警察と消防に通報した時には夕方になっていた。これには理由があって、ケイビングの経験があって洞窟内について詳しい自分たちで救助活動をしたほうがベストだという判断があった。通報すれば、入洞禁止措置が取られて勝手に入れなくなるし、警察の到着を待つことになる。
 夜中に県警機動隊・消防隊・地元の警察署員までやってきて救助活動が開始されたが、地底湖までの複雑な地形もあり救助活動は困難を極めた。とくに腹ばいにならないと進めない場所が難所で、潜水のために必要な酸素ボンベを持ち込むことができなかった。6日間、のべ200人によって探したが手掛かりひとつ見つけることができずに捜索は打ち切られた」
「まさか平氏の祟りだとかじゃないだろうね。落ち武者の。ぼくはそういうのが苦手なんだよ」
「警察はサークルのメンバー、とくに一緒に入った3人に入念な聞き取り調査をした。事故を装った事件の可能性もあったからね。記録はしっかりと残っている。全国ニュースにもなっていたぐらいだ。救助隊の人たちは、支洞は道具なしに進むのは不可能なので地底湖の底に沈んでいるのだろうと考えた。不思議なことに、透き通っていたはずの地底湖の水は白く濁ってしまっていたんだ。まるで捜索の邪魔をするみたいに」

「たくさんの人が入ったせいで、水底の土砂が巻き上がっただけじゃないの?」
「そうかもしれない。あと、浮かべていたゴムボートが流されたことから地底湖は水中でどこかに繋がっていて、男子学生もそちらに流された可能性があると警察は考えた」
 急に静まり返ってしまった。
 さびれた神社のせいもあって、かなり雰囲気がある。
 彼の唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
「結局、いまも見つかっていないの?」
「残念ながら、といいたいところだけど、実はこの話には、普通では信じられないような続きがあるんだ」

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